救急ケアのよもやま話① ~CPRの歴史~
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救急ケアに関するよもやま話として「CPRの歴史」についてまとめました。
勉強からはちょっと一息おいて、お気軽にお読みください。
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医療の日進月歩
2023年9月アルツハイマー病の新薬「レカネマブ」が厚生労働省に正式に認可されました。
治療薬の効果が乏しかったアルツハイマー病に対する医療に大きな一歩と言えます。
まさに日進月歩の医療看護業界です。
そんな日進月歩の医療における「CPRの歴史」についてお話します。
歴史で見るCPR
胸骨圧迫によるCPRはおおよそ60年前に正式に考え出されました。(多くの実験などはありましたが)
米国ジョンホプキンス大学Kowenhoven、Guy Knickerbockerによって1960年に導入された心臓マッサージです。この時、彼らのチームは両手掌基部を胸骨に対し垂直に圧迫することで合併症が少なく7割の蘇生率を出しています。この1960年は心肺蘇生の大きな一歩になりました。
1962年「The Pulse of Life」という27分間のトレーニング用フィルム映像が作成され今日のA(気道)B(呼吸)C(循環)の考え方が広がりました。
1973年には米国心臓協会(AHA)がCPRの概念をBLS(一次救命処置)とACLS(二次救命処置)としています。
1974年、AHAは蘇生に関する膨大なデータや実践に基づき、「Standards for CPR & ECC」という現在のガイドラインの原型というべき心肺蘇生の指針を発表されました。
1989年には、ヨーロッパ蘇生協議会(ERC)が結成され、1992年にAHAとERCが中心となって、国際蘇生連絡委員会 (ILCOR) が設立されました。
ILCORには47の国と地域が参加しています。
AHAのStandardsはGuidelinesへ変更され6年ごとの改訂を受け2000年に「AHA Guidelines 2000」(G2000)が発表されました。
G2000は日本語版も発売されAHAの標準コースが日本で始まったきっかけとなったといえます。
日本での昔のCPR
私が医療へ興味を持ちだした1990年代は、CPRの方法は医師や看護師によりさまざまでした。特に地方の小規模病院では科学的根拠に基づく手技が定着していませんでした。
心臓マッサージ法は1分間に60回の圧迫。15:2の割合で換気。心臓内へカテラン針を用いてボスミン(アドレナリン)10mlを心内注射。何が何でも気管挿管。
そんなCPRが実施されていました。
これらの手技は先輩医師・看護師から後輩へと引き継がれ何の疑問もなく行われていました。On-the-job trainingがほとんどだったんです。
AHAガイドラインと日本のCPR
1992年米国に滞在していた医師がAHAコースを受講し帰国後、日本でAHAのCPRコースと心肺蘇生のガイドラインが広まり始めました。同年より日本人のAHA認定インストラクターが誕生し医師間でCPRの手技や考え方が統一され始めます。
1994年山梨県のACLSコースには多くの看護師が参加し現場での活用が広がっていきました。2000年のG2000は、日本語の発売もあり多くの医療従事者が手に取り学びました。この年日本ACLS研究会が設立されBLSコース・ACLSコースが開催され始めます。
2002年にACLS研究会は「特定非営利活動法人 日本ACLS協会」へと発展し翌年AHAのJapan International Training Center(ICT)が設立され、以後各県や学会にトレーニングサイトが広がり今やAHAのコースは日本でも標準的なCPR学習の場となり、多くの臨床でもこの手技は用いられています。
AHA Guidelinesの内容についてはまた今度お伝えします。
お楽しみに!
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